高島靖男のインド日記
10月11日(土) ムンバイに到着
 朝1時40分にムンバイに到着。入国審査。「何日いるのか?」と尋ねられる。「1年」と答える。また、「何日いるのか」と聞かれる。「1年」と答える。担当官は目を丸くしてパスポートのビザを改めて見た。1年と確認したようだ。「ヒンズー語を勉強しないとダメ、毎日練習が必要」と、今度はニコニコとアドバイをしてくれた。1年などという長期の日本人が少ない証左なのかもしれない。香港経由で来たので日本人は自分一人であった。
 税関を通過して外に出ると人、人、人の波である。目が異様にひかっている。社長のヒテーシュさんが手を振っているのが見えた。急に緊張が解けたような気持ちになった。空港から車でアパートに向かった。印象はフィリピンのマニラにとても似ている。ヤシの木が高くそびえ、南方植物がたくさん目に入る。日本で言えば、沖縄が似ているのかもしれない。朝2時30分なのでスムーズに走る。高速道路の両脇はスラム街が続く。社長のヒテーシュさんが説明してくれた。「現在、ムンバイはホテルラッシュでここのスラムの人たちは立ち退きを要請されている。インドでは勝手に家を道路脇に立てても居住権が認められているので立ち退きに伴い賠償金が政府から支給されている。賠償金が支給されると郊外の綺麗なアパートを借りる。でもそこには住まない。他人に貸して家賃を取り、自分たちはまた違うスラムに移り住む。したがって彼らは決して貧乏な人たちばかりでないのですよ」と説明してくれた。成程と、妙に納得した。

 空港から車で30分、順調にアパートに到着した。ムンバイ市内のアパートは駐在員が住む地域では月額50万円くらいする、という話である。わたしのアパートは社長のヒテーシュさんが借りてくれたので値段は不明。高速道路(有料ではない)を下りて、アパートまでの道はとても夜一人では歩く気持ちにならない。朝の3時だというのにリキシャ(タクシーの一種)の運転手がごろごろといる。野良犬もいる、狂犬病?と一瞬、これはとんでもないところに来たと思ってしまった。私が住む一角近くになると門があった。この門を通過すると途端に雰囲気が一変する。高級住宅地ではないがインドでは金持ちの人たちが住む区域になるのであろうか日本の高層団地のような所になっている。私が住むアパートに辿りつくとさらに門があり24時間看守がいる。身分が証明されなければ中には入ることが出来ない。後で知ったが私が住んでいるすぐ傍にTATA Consulting Serviceの支店があった。ITソフト産業は住宅地でも成り立つのである。

 部屋に着いた。中はタイル張りのイギリス風のつくりである。社長のヒテーシュさんに部屋の説明を受けて寝ることとした。3時30分であった。日本時間の午前7時である。時差が3時間30分というのは何か落ち着かない数字である。日本の自宅に電話した。日本は朝7時であった。

 朝、7時前に起きた。あまりよく眠れなかった。いよいよ一日目の始まりである。昨日、社長のヒテーシュさんが冷蔵庫に当面の水、食料など買っておいてくれたので、それで食事することにした。まず、歯を磨くのであるが水道の水では危険である。鍋にお湯を沸かしてそのお湯で歯を磨くことする。歯を磨くだけで20分くらいかかってしまった。次は食事であるが皿からコップまで鍋に入れて煮沸することにした。大変なことになったものだ。ミネラルウォーターは一週間にどのくらいいるのであろうか?やっと食事にありついたが、こんなことを毎日やるのかと思うとちょっと気が思い。そのうち、現地の水に免疫が出来るのであろうか?

  朝、九時に社長のヒテーシュさんが迎えに来た。今日は換金と買い物をする予定である。社長のヒテーシュさんのアパートは隣の隣である。歩いて5分である。隣のアパートには社長のヒテーシュさんのお母さんが住んでいる。ヒテーシュさんのアパートは20階建である。17階にヒテーシュさん家族が住んでいる。道すがらヒテーシュさんが説明してくれた。「このあたりに子供のころから住んでいるので回りの人はほとんど知っています。実は父はこのあたりの団地の自治会長をやっていたんですよ」と教えてくれた。部屋に着くと奥さんのアニタさんと娘さんのシミさんが出迎えてくれた。社長のヒテーシュさん家族は10月2日まで3年間高田馬場に住んでいた。私が10月10日に離日することになったのもヒテーシュさん家族が先にインドに帰り、受け入れ準備をしてくれるためだった。ちなみにヒテーシュさんはムンバイ大学コンピュータ工学卒業、奥さんのアニタさんはIIT(インド工科大学、コンピュータ工学では世界一と言われている)数学科卒業である。娘さんのシミさんは11歳でヒンディー語、英語、日本語が出来るとても利発な子供である。

  朝の食事の準備がしてあった。こんな予定ではないので沢山食べてきてしまった。でもせっかくだから一生懸命食べることにした。水はこちらが飲まないのを理解してくれているので出なかったが果物が出された。ちょっと不安だが食べざるを得ない。日本にはない、柑橘類の果物と林檎に似た果物である。とても美味であるが不安が残った。後でお腹を壊さないだろうか?

  換金は土曜日で時間がかかることから買い物だけすることにした。距離はそれほどないようであるが、昨晩とは打って変わって、車、車、車の波である。その上、道路を人、人、人が平気で横切っていく。危険きわまりない。車線がないので早いもの勝ちという雰囲気で通常であれば3車線程度の道幅に6台くらいが走っている。これがインドなのであろう。30分くらい走ってショッピン・センターに到着した。これは世界共通の現象であろうが買い物をして食事をして映画を見る、が一度に出来る仕掛けになっていた。更に隣にビルを建設中である。何が出来るのであろうか?これもあとで知ったがこのショッピン・センターはムンバイでも一二を争う大きなセンターであった。

  中を撮影したかったが何も持ち込みが認められず手ぶらで中に入る。入る時も飛行機に乗るときと同じように検査がある。ズボンのベルトも外された。これには驚いた。中は巨大なデパートであった。生活に必要なものを次から次へと買い込んだ。アニタさんにすべて任せることにした。とにかく安い。ヤカンから食料までショッピンカートがはち切れるほど買ったが3300ルピー(日本円で8300円くらい)であった。インドでは買い物が多いと宅配を無料でしてくれるそうである。買物中、私とヒテーシュさん家族が英語と日本語をチャンポンにして話しているので回りからジロジロ見られた。日本人がこんなローカルのショッピン・センターに来るのは初めてなのかもしれない。買物をしていて印象に残ったのは「お米」である。すべてロング・グレインであるが種類が豊富である。来週は是非買ってみたい。アニタさんが炊飯器(パナソニック製)を買ってくれた。ここで肉、卵も買いたかったが、ここのショッピン・センターはベジタリアン専門とのことで肉類は全く置いていない。この辺はとても日本では想像がつかない。ランチはショッピン・センターの中ですることにした。勿論、カレーである。さまざまなカレーとご飯、それにヨーグルトがついて一人25ルピー(70円弱)である。このボリュームであれば日本では一人、最低でも500円はとられる。そう考えると食事については七分の一くらいの勘定になる。

  3時にアパートに戻ってきた。インターネット接続の技師が来ることになっているそうだ。買物を冷蔵庫に詰めたりいろいろやっていると若いインド人が訪ねてきた。しばらくするとアニタさんが猛烈な勢いで怒っている。何のことかサッパリわからない。ヒテーシュさんが説明してくれた。「実はインターネット接続のために来るのは、彼で4回目なんです。更に彼は技師でなく営業担当なんです。以前にしたと同じ説明をアニタはしているので激高しているんです。でもこのくらいやってやっとインド人は動くんです。日本人は「はい、やります」まで時間がかかりますが、一度「はい、やります」と言えばそのあとは早いですね。ところがインド人は「はい、やります」と言ってからが問題なのです」とのことであった。そのインド人は、これもふてぶてしいというか、顔色一つ変えるわけでもなく落ち着いたものである。日本人では御手玉に取られてしまうのも当たり前か。

  ヒテーシュさんと歩いて近くの電気屋さんに変圧器を買いに行った。日本人一人ではとても行けるところではない。英語が通じないのだ。英語について言えば、もともと訛が強く聞きとりにくい、という印象であるが、ムンバイでは英語が必ずしも出来る人ばかりではない。ムンバイを境にしてインドの北部の人は英語があまりできない。一方、南部はきれいな英語を話し、大半が英語を話すのである。二軒目の電気屋でやっと変圧器を見つけた。ところが一台しかない。すると店主は電話をかけている。しばらくするともう一台の変圧器を持った若者が自転車でやってきた。近所の電気屋に電話をかけて持ってきてもらったとのことである。お互いに助け合って商売しているようである。支払になった。2台の変圧器とソケットを買った。表示されている値段よりも安い。安いのはいいのですぐ金を払った。変圧器は日本では約4000円である。支払った金額は220ルピー(550円くらい)である。やはり七分の一くらいの勘定になる。う〜ん、安い。でもインド人だから出来るので自分一人ではこのような店には来ることが出来ない。ヒテーシュさんの説明。沢山買ったから安くなった。変圧器一台だったら表示の値段を要求されたはず、とのことであった。

  部屋に帰るとビックリ。コンピュータ技師が来ている。アニタさんの勢いに圧倒されたか?なにせIIT卒業であるから??(実物はとても数学が出来るとは思えない普通の家庭の主婦である)。しばらく技師がごそごそとやっていたが、あっと言う間にインターネットが開通。日本語が読めないのに私のPCをよく解明したものだ。
 シミさんはTVを見ている。「先生見て、見て。クレヨンしんちゃん、やっているよ」と言われてTVを見る。成程、成程、クレヨンしんちゃん、である。しかもヒンディー語で話している。しんちゃんはヒンディー語も話せるのか?ちなみにインドのTVは100チャンネルくらいあるそうだ。NHKも英語で放送されている(ビックリ)。インドにいると英語に非常に親しみを感じる。わかる言葉がこれだけのせいなのかもしれない?クレヨンしんちゃん、は毎日30分放送され、何と土曜日は6時間ぶっ続けで放送されている(ビックリ)。忍者ハットリ君、パーマン、などなど日本の漫画が溢れている。

  明日は夕方から私が天ぷらを作って夕食をすることになった。長い一日が終わった。今日はよく眠れるだろうか?BBC放送でも観ながら寝ることとしよう。
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