鎌倉八幡宮のご神木“大銀杏”倒壊
神奈川 鎌倉 大沢さん
大銀杏が消えた

 65年前、東京に初めて大空襲があった同じ日の3月10日、朝から「上空をいくつもヘリコプターが飛んでいるな、何かあったのか」と気にしつつ出かけた。夜、帰宅したところ「八幡様の銀杏の木が倒れて大騒ぎだった」と聞きびっくり。

 早速、翌日現場に行ったところ、すでに心配して駆け付けた人で一杯、銀杏の脇の大石段はすでに周囲に柵が張られ、近くによることはできなかった。本殿の上からのぞくと、人間でいえば仰向けに、根を天にむけた姿は見るも無惨。樹齢千年、幹回り6.8メートル、高さ30メートル、県の天然記念物。まさに鎌倉のシンボル的存在だった姿はない。常緑樹が多い八幡境内にあって、春には瑞瑞しい新緑、秋には眩しいばかりの黄金色、唯一四季の移り変わりを伝え、訪れる人に感動を与え、多くの芸術家の被写体になっていた姿はもはやない。鎌倉の名物、絵になった存在が消えた。

 確かに前日の夜はみぞれ交じりの寒い夜だったが、突風で根元から倒れるほど弱っていたのか、と思うと一層哀れ。直後の報道では、一時再生不可能という観測も流れ、神職はじめ地元の人は一様にショック状態。しかしその後、専門家が再度診断したところ、「根が残っているので再生は可能だ」と修正され、やや安堵する。しかし長年に渡り歴史を見続けてきた大銀杏が、元の姿で戻らないのは確かだけに、寂しさ変わらない。(写真@参照)

大銀杏の再生

 幸い、連日の新聞報道では、翌11日、県、市、八幡様三者による検討委員会が立ち上がり、ご神木を再生するための方針が決定。樹は生き物だけに急ピッチで作業が進められた。17日には大銀杏を下から4メートルの位置で切断(重さ17トン)、元の位置から南に7メートル離れた場所に移植。残された根も保護された。移し替えた幹と残った根がそれぞれ根付けば、双方からひこばえ(幼木)が期待できるという。

 18日、参道と本殿をつなぐ「大石段」が8日振りに一般開放され、一段落した姿を見た。大銀杏のあった跡は数段に石組で高く盛り土されていた。その横に移植された枝のない裸の樹幹は、樹というより石の物体、新しい墓碑を見るようだ。(写真A参照)

 参道の脇のテントの中では、「小枝の一本まで神木として保管する」という八幡宮の意向で、倒壊の際、破損した幹の上部や枝の剪定作業が行われていた。一方、参道を挟んだ反対側には、大銀杏の再生とひこばえの芽吹きを祈る記帳所も開設され、詰めかけた参拝客が列を作り、記帳していた。

風景は一変

 関係者のご努力で何とか次世代にご神木のDNAを伝える目途が立った。しかし八幡様の風景が一変した。本殿につなぐ大石段のただ住まいが変わった。千年の歴史を伝える大銀杏、三代将軍実朝暗殺、甥公暁の「隠れ銀杏」(1219年)と伝承のある大銀杏がない喪失感は大きい。モニュメントにしか見えない現在の姿が、芽が吹き、枝を伸ばし生気あふれる姿になり、元の威容を取り戻すまで何年の歳月を要するのか。気の遠くなる話だ。

その後の大銀杏 
 2010/4/3 朝日新聞(大銀杏は再生できる)
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